今朝の瞑想中、
ハワイ島にいたときによく憩いにいった
大きな木が出てきた。
その木は、高台にある海が見える公園にあって、
動物や植物や人間に癒しを与えてくれている。
強い南国の日差しから私たちを守ってくれて、
柔らかい風を感じさせてくれて、
マングースの遊び場所になっていて、
たくさんの鳥が休憩しにきていた。
私は、その木が大好きで
朝は決まってその木の下でヨガと瞑想をして
1日を始めた。
たまに、お弁当を作って
その木の下で食べたり、
本を読んで涙を流したり、
お昼寝をしたり・・・
お気に入りのリリコイチーズケーキを買って、
わざわざその木の下で食べたり。
当時好きだった人とお別れをしたのも
その木の下だった。
その人が去った後、
悲しくて悲しくて
涙が止まらなくて、
嗚咽しながら泣いたけど、
ふと木の下から空を見上げると、
葉っぱと葉っぱの間から
キラキラと太陽の光が差し込んで、
柔らかく包まれているような気がして、
何の根拠もないけど、
私は大丈夫!
って、身体の底から感じた。
「誰かに感謝されよう」とか、
「気に入られるための努力」とか
一切なく、
ただそこに立っているだけの1本の木。
ただいるだけなのに、ものすごく大きな力を感じ、
そして何よりも美しいと思った。
でも、どうしてその木が瞑想中に現れたんだろう。
私の思考は忙しく動き始めたけど、
「答えは出さなくていい」
昨日の夜のヨガ教室に来てくださった方から
ほんの数時間前にいただいた言葉を思い出し、
心地よく瞑想に戻ることができた。
今まで生きてきた中で身に着けた
習慣や思考の癖がたくさんあって、
その一つひとつを脱ぎ捨てるのは
かなり難しいし、根気がいる。
周りの人に感謝されることや
喜んでもらうことで
自分という存在を認めてきたのも
そのうちの一つ。
ただ在るだけで、それで十分なんだよって
ハワイ島の大好きな木が
伝えてくれているような気がした。